新・高塔山伝説
1962年、東洋一の吊り橋『若戸大橋』の開通記念で開催された『若戸博』。その会場となる事で整備された『高塔山公園』、そして『高塔山野外音楽堂』。まるでゴールデンブリッジとハリウッドボウルのカップリングともいえる当時のモダンなランドマークが、シーナさんの故郷『若松』には存在する。
『ロックな街』北九州若松から、やがて You May Dream!『シーナ&ロケッツ』が旅立ち、高塔山で産まれた『ルースターズ』のサウンドが日本のロックに革命をもたらした。やがてHIDE『ex.NEW DOBB』も東京へと向かった。
『シーナ』の想いが詰まった1つの場所、『鮎川 誠』という1人の存在が街を変えた。忘れられない1976年の冬、大江慎也、池畑潤二 両氏と共に『バラ族』としてステージに立ったその日こそが、鮎川夫妻との出会い『未来を予感した日』だった。
そんな体験、当時の空気感こそ、次世代へと語り継がれてほしい。シーナさんが残してくれた『高塔山伝説』のリアルだ。そして2018年、若戸大橋の無料化を記念するフェスとなる事に、実行委員会一同喜びが隠せない。
北九ロック
ロック・ミュージックの誕生、ビートルズに続いてのストーンズデビュー。そんな1963年に『北九州市』が産声をあげた。これこそ街とロックの歴史がシンクロしてしまう私なりの理由だ。
当時の北九州は日本有数の工業地帯。経済と文化は栄え、多くの文豪を輩出、昭和を彩った俳優や歌手も次々と大成していく中、大型キャバレーやダンスホールに全国からバンドマン達の集まる街。
そして『シーナ』さんは石炭の積み出し港として栄えた『若松』に生まれ、洞海湾に浮かぶ大きな外国船を見て育ち、世界を夢見てロックミュージックに傾倒していったそうだ。
70年代、我々の世代はラジオが主役。次々と流れ出す洋楽のニュアンスに、遠い世界を感じながらギターを手にし、80年代福岡めんたいロック・ムーヴメントの導火線『ルースターズ』。その昔、彼ら『バラ族』にギターとして参加した時のエピソード、『サンハウス』の背中を追いかけた場所『高塔山音楽堂』こそが夢そのものだった。
『聖地・高塔山物語』そして『北九ロック』は、そんな私の実体験から始まった。『音楽は永遠の宝物』『夢は無限』これを伝えることこそが真の文化振興であると信じている。『北九州から全国へ』これが第一歩だ。
高塔山ロックフェス プロデューサー HIDE(ミーナ&ザ・グライダー)
北九州市若松区出身。小学5年でラジオに夢中となり、中学でギターを手にしてバンドを結成。高校在学中にロックバンド『NEW DOBB』として第4回L-MOTION ROCK本選グランプリを獲得、3度の北九州市民音楽祭グランプリ等の実績を残し、1986年テイチクよりVo & G、ソングライダーとして不二家CMソングでメジャーデビュー。同時に上京。その後も沢田研二等への楽曲提供や内田裕也『New Year Rock Festival』出演等の活躍後、2003年に帰郷。クロスFMでの音楽番組制作を開始。翌2004年『高塔山ジャム』をスタート。2010年度開催まで実行委員長としてフェスを牽引。2012年には妻のミーナと共に『ミーナ&ザ・グライダー』結成。北九州を拠点に全国でのライブ活動を中心に現在、飯塚オートレース イメージソング、企業テレビCM、ラジオパーソナリティーとしても活躍中。